赤ちょうちんでひとりごと

音楽を愛して止まないAKKOのお気楽なひとりごと。自分の好きなことや感じたことを徒然なるままに綴ってます。

ベルリンの壁崩壊20年で板門店を思う

昨日11/9はベルリンの壁が崩壊してから20年めの日。ニュースやドキュメンタリー番組で特集されていました。私は前職がドイツ系の会社に勤務しておりましたので、デュッセルドルフ(旧西ドイツ側)にいる駐在の方と電話でお話することが多かったのですが、20年たった今でも経済格差がまだまだ残っているようです。

ベルリンの壁崩壊後20年の報道をTVで見ていて、今でも分断されたままの朝鮮半島はこれからどうなっていくのだろうとぼんやり考えていました。折りしも本日、韓国と北朝鮮の海軍が黄海で銃撃戦を行ったというニュースが入ってきましたが、大きな事件に発展しなくてなによりです。

朝鮮半島の方は、北朝鮮世襲独裁政権ですし、外部からの情報がシャットアウトされている上、チュチェ思想教育で長期に渡って国民を統制しているために、統一前の東ドイツ国民のようには、国民全体の革命への情熱が発展しづらいように思えます。

2年前に韓国を訪れた時、丸1日予定が空いたので、"板門店(パンムンジョン)"に行くことにしたのですが、ここはテーマパークでもアトラクションでもない、南北分断の象徴的施設である現実の世界なわけで、民間人は基本的にツアーに参加する以外の方法で訪問することはできませんし、そのツアーには基本的に外国人(韓国籍以外の人)しか参加できません。また、非武装地帯に入るため、パスポートは必ず持参しなくてはいけません。

私の乗ったツアーバスは、約2/3が西洋からの参加者で残りは日本人ということで、英語と日本語の両方で解説を受けることができました。韓国人が行くことのできる北限の「自由の橋」を見て、ツアーバス板門店の中へ。途中、バスの中に乗り込んできた兵士によるパスポートの検査があります。

国連軍が管理する「キャンプ・ボニファス」内で南北朝鮮の過去と現状についてのレクチャーと共に、見学中の禁止事項についての説明があり、その後「緊急事態が起これば死亡・負傷する恐れがあり、何があっても安全の保障をすることはできません」と書かれた国連軍の用意した誓約書(写真)へに署名します。

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ここから先は国連軍が用意した専用バスに乗り換えますが、パスポートとカメラ以外の私物は持ちこめず、カメラも撮影制限があり、自由に写真を撮ることはできません。また国連軍兵士のあとに2列で並んでの移動となり、自由に歩くことはできません。

板門店の施設の中をぐるりと廻り、いよいよ緊張の軍事停戦委員会の会議場の中へ。南と北とでツアーの時間を調整しているので、基本的にかち合うことはないらしいのですが、もし出会ったとしても決して相手方に手を振ったり、話しかけてはいけません。

写真のテーブル上にある旗と黒いマイク台らしきものを結ぶラインが南北の軍事境界線で、左が韓国、右が北朝鮮です。会議場内は北側も自由に行き来できますので、私も北朝鮮側に入ることができました。貴重な体験です。

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この軍事停戦委員会の会議場は写真の撮影も可能なので、会議場の中から見た軍事境界線のコンクリートラインを撮影してみました。下の写真の砂利側(右)が韓国、土側(左)が北朝鮮です。まさにここが南北の国境と思うと胸に重苦しさを覚えます。

北朝鮮側の兵士が警備をしている様子も会議場の外から伺い見ることができました。ここを警備する国連軍は、ぴくりともせずに警備をしているので、初めはろう人形かと思ったほど。現実の世界ですから、そんなことはありえないのですが、平和ボケしている自分を再認識しました。会議場付近にいられたのは10分くらいかと思いますが、誰も声を発することなく緊張感がピ~ ンと張り詰めていたのを今でもよく覚えています。

裏話ですが、板門店は外国人の観光スポットになっているので、なんでもイケメンの軍人さんが配属されるとか?本当かウソかはわかりません。いずれにしても、この板門店という場所が早く記念のテーマパーク施設となって、「こんな時代があったよね」と世界中のみんなが懐かしんで話せるそんな時代が早く来ることを祈って止みません。

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